西片町教会発題
東北アジアでのキリスト者の役割
 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」−使徒言行録18章9節


今回の発題「東北アジアでのキリスト者の役割」は最も今日的
問題でありますが、非常に難解な問題でもあります。

「東北アジア」とは東南アジアと区分するならば、韓国、北朝鮮、
中国、そして日本の四ヵ国が大枠で、更に加えるなら台湾、
サハリンでしょう。この東北アジアという地政的区分が強調される
ようになったのは比較的近年のことであります。私が最初に耳に
したのは羊尚中氏の著書「日朝関係の克服」からでした。

今、何故「東北アジア」が焦点として取上げられるのでしょうか。
それは中近東とは別のの意味で危機的状態にあるからであります。
六ヵ国協議が難航しているように米朝間は緊迫状態にあり、中国、
ロシアの動向も予断を許さない状況であります。一方2000年
6月の南北首脳会談による冷戦構造の終結と金大中元大統領の
「太陽政策」以降、韓国と北朝鮮の半島統一への対話が活発化して
います。そして私たちの日本は日朝平壌宣言後、拉致問題により
宣言は宙に浮き日朝国交正常化交渉も途絶えた状態にあります。
また中国の「反日」感情が高まり日中外交に悪影響をもたらして
います。このまま進めば日本は東北アジアから孤立しかねない
でしょう。

このような状況下にあって私たち日本のキリスト教会、日本の
キリスト者は神さまのどのようなみ言葉に従えばよいのでしょうか。
今日の発題の使徒言行録18章9節「恐れるな。語り続けよ。
黙っているな。」このみ言葉こそ拠りどころとなるのではない
でしょうか。イエス、キリストの体なる教会です。その教会は国家、
社会の構造の中にあって神の恵みに相応する奉仕の務めを求められて
います。西片町教会では主日礼拝、聖書研究会、祈祷会、教会学校の
ほかに幾つかの集会を開いています。その一つは韓国やアジア各国の
問題を学ぶ「アジア問題研究会」、更に現代日本の社会問題を考え
学ぶ「アーモンドの会」を毎月開催しています。これまでに
「脱北者問題」「強制連行問題」「靖国問題」「憲法9条問題」
「教育基本法問題」など個々の問題も話し合ってきました。韓国、
中国では「反日」の感情が強く横たわっています。その第一の
要因は過去の日本が犯した「侵略戦争」「植民地支配」などに
対する歴史認識の問題です。戦後日本の政府が戦争責任についての
反省、謝罪、賠償が十分になされたかどうかと言うこととは別に、
小泉首相の靖国参拝の行為が新たな不信を生む結果となっています。
韓日の間では「独島」「竹島」の領土問題も新しい火種となって
います。狭隘なナショナリズム的政府、財界の姿勢に対して、
NCC(日本キリスト協議会)などキリスト者の各種団体は抗議文や
デモなどで強く抗議をつづけています。しかし有識者でさえ足並みが
揃わない複雑な状況にあるのは残念であります。

一触即発の危機さえ孕んでいる東北アジアですが、危機であるから
こそ私たちキリスト者は真実を把握、認識し、危機を解消し東北
アジアの平和の道を模索せねばならないのです。憎しみの対立を
続けるイスラエルとパレスチナの悲劇を東北アジアで生んでは
いけません。何故相手を非難し憎むのか。相手を憎むということは、
自分だけが正しい、相手が悪いのだというブッシュ、ドクトリンと
同じことになるのです。そこからは何も生まれるものはありません。
互いの違いを乗り越えて認め合う気持ちが大切なのです。

日本は戦後60年を経過いたしました。第二次世界大戦を経験して
いない世代が国家の中心となりつつあります。戦後一度も武器を
使用したことのない平和国家といわれていますが、米国一辺倒の
政治は「平和ボケ」とも思える「憲法9条」の改ざんを唱えており、
それは平和と人権の崩壊にも繋がりかねません。韓国の場合、
朝鮮戦争と南北の分断、ベトナム戦争への参戦と悲しい体験を
されましたが、そのためにも南北の統一が何よりも重要でしょう。
地政学的にも中国、韓国、北朝鮮、日本は一つのアジア村であり、
そのなかでも韓国がこれからの「東北アジア」の中軸となると
いわれています。      

韓国、日本の教会、キリスト者の今、最も大切な役割は、
恒久平和が約束されるアジア諸国、なかでも「東北アジアの
地域一体化づくり」のためにイエス、キリストの神のみ言葉を
述べ伝え、奉仕の務め(行動)をはたすことです。ただそれは
叫ぶだけでは相手に伝わらないかもしれません。NGOや市民活動を
含め相手に注目されるようなアクションが必要でしょう。最後に
聖書のみ言葉から学びたいとおもいます。

「キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、
敵意という隔ての壁を取り壊し、・・・十字架によって敵意を滅ぼされ
ました。」(エフェソの信徒への手紙2章14〜16節)で
あります。これこそ平和を願うわたしたちへの導きのみ言葉で
あります。

「わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために
祈りなさい。」(マタイによる福音書5章44節)敵を愛する
とはなんと難しいことでしよう。心を開き和解の時と場を
もつならば、敵ではなく隣人となるのです。

わたしたち姉妹関係にある両教会がこれからもより強い絆で
結ばれ、東北アジアの共存のため良い働きが出来ることを
願って私の発題といたします。




→開会礼拝説教ソウルチェイル教会発題主日礼拝説教


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