「使徒言行録」の学びますと「我ら章句」という言葉を知る ことになります。それはこの使徒言行録の中に「私たち」と いう一人称複数の文体で書かれた箇所が現れてくるからです。 既に一度「我ら章句」は登場しています(使徒言行録16:10〜17)。 これは、第二回伝道旅行においてのことですが、その時パウロが 自分が計画した伝道地に行こうとすると二度に渡って聖霊によって 禁じられる。それでトロアスにやって来ざるを得ない。その夜、 幻の中で一人のマケドニア人が立って、マケドニア州に渡ってきて 助けてくれるようにと願う。そこで「我ら章句」が初めて現れて 「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ 向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせる ために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至った からである」(16:10)と記されています。古来多くの人が推測 しますことは、この時パウロとその一行の中に医者「ルカ」が 加わったのではないだろうか。このルカこそ「使徒言行録」の 著者です。ここからは自分がその伝道旅行に加わったのですから、 当然「私たち」という一人称複数で著述するところとなったという 理解であります。 そしてまた推測ですが、そうであれば、この箇所でパウロに 懇請したマケドニア人こそルカ自身だったのではないか。快諾を 得るとルカはその後パウロの道案内として働いた。そしてフィリピに 一行はやって来て、ヨーロッパ最初のキリスト者リディアを 得たのです。 このフィリピ後「我ら章句」は消えますので、パウロたちがさらに 歩を進めた後も、ルカだけはフィリピに止まり、リディアと共に フィリピ教会の建設に当たったと考えられます。そして次ぎに 「我ら章句」が登場するのが以下です。「この人たちは、先に 出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、 除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと 落ち合い、七日間そこに滞在した」(20:5〜6)。ですからこの 第三回伝道旅行の帰路にパウロが立ち寄ったフィリピから、再び ルカが旅行に加わった。そしてエルサレムに帰還しました時 (21:17〜18)も、またついにパウロがローマに到着した時 (28:16)も同じく「我ら章句」が見られますので、ルカは フィリピからパウロと共にエルサレム、さらにローマまで同行 したのではないかと考えられるのです。 パウロはルカを「愛する医者ルカ」(コロサイ4:14)と 呼びました。またパウロはローマで殉教の死を前にこう書きました。 「デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行って しまい…。ルカだけがわたしのところにいます」(テモテ二4:10〜11)。 ずっと同労者であったデマスは最後の所で、この世を愛し、パウロを 見捨て去っていった。しかしその時もルカただ一人は、パウロに 最後まで付き添ってくれたのです。パウロは「肉体の棘」という 言葉を手紙に残したように病気がちでした。第二回伝道旅行が聖霊に 禁じられて、思うにまかせなかったのも事実は発病によるのかも しれません。その時医者ルカが、ヨーロッパ伝道のお願いにトロアスに 訪ねた時、寝込んでいたパウロを治療した。その時熱で朦朧と していたパウロには、ルカの姿が「幻」のように見えたのかも しれません。ルカの適切な治療によってパウロは回復し、マケドニア 伝道に赴くことが出来たのかもしれません。今朝の御言葉でも、 パウロはこれからの自分の歩みがどれほど困難なものであるか 「ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、 聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(20:23)と 語っています。病みがちなパウロの最も苦悩に満ちた晩年の旅に、 ルカは同労者、友、医師として奉仕し続けた。伝道者パウロのルカに 対する感謝は深かったと思う。 伝道というのは一人の伝道者によって可能なものではありません。 この世を愛して去っていく者たちが多い中で、この世ではなく、 あの世(天)を愛して生きたルカの存在はパウロにとってどんなに 大きかったか。伝道とはこのような友を得て、まさに「我ら」、 「私たち」で呼び掛け合う喜びの中で初めて可能となるので あります。その一人称複数こそ、まさに「教会」のことなので あります。「我ら章句」とはこの「教会伝道共同体」の姿を 示しているのであります。 「さて、わたしたちは先に船に乗り込み、アソスに向けて 船出した。パウロをそこから乗船させる予定であった。これは、 パウロ自身が徒歩で旅行するつもりで、そう指示しておいたから である」(20:13)。この「我ら章句」は、旅に著者自身が同伴 しているということですから、ルカが伝聞や資料に頼っただけの 他の旅行記事に比べて実に詳細となっています。 アソスで一行はパウロと落ち合いエルサレムに向けて船出 します(20:14)。エーゲ海東岸に沿って南下して地中海に 出る旅です。ここに幾つもの地名が記されていますが「ミティレネ」 (14)とは現在のレスヴォス島です。翌日、キオス島の沖を過ぎ、 また次の日、サモス島に寄港する(15)。これらの島は全世界の 観光客を集める美しいエーゲ海の島々です。この後も非常に 詳細にまるでガイドブックがエーゲ海クルーズのコースを 述べるように、コス島、ロドス島と、美しい景色を思い浮かべる ことの出来る地名が記されています(21:1)。しかし彼の旅は、 物見遊山の旅ではありません。 「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに 行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かり ません」(20:22)。直訳すれば「御霊に縛られて」です。 文語訳聖書は「今われは心搦められてエルサレムに行く」と 訳しました。巻き付くのです。聖霊が自分に絡みついてくる。 それを剥がそうと思っても出来ない。この表現はものの例え ではありません。彼は都エルサレムで実際に捕らえられ鎖に 搦められる。そして縛られたままローマに囚人として連れて いかれる。 パウロの旅とは享楽の旅ではない。使命に生きる旅。他の者 から遣わされる旅です。パウロにはいつも主人がいるのです。 聖霊様です。主イエスであります。そのお方に絡みつかれて 行く他はない。それが神に召されるということなのです。 その心が讃美歌21-529に表れています。「主よ、われをば、 捕らえたまえ、さらばわが霊は、解き放たれん」(1節)。 この歌を礼拝の中で、心から「アーメン」と歌うことが出来ると いうところに、キリスト者のキリスト者であることの内実が 表れてくるのです。 私たち一人一人に迫る、聖霊の促し、神の求めがどこに あるのか、神からの使命を果たすべく旅の目的地、それは 誰も教えてくれません。一人ひとり神様から直接与えられる ことだと思います。聖霊様は、私たち一人ひとりが最も 「解き放たれる」場所に、私たちを召されるのです。神に 召されるとは、神と我の関係です。「一人称単数」の祈りの 中で、神から示されるものであります。パウロのこの帰路 「我ら章句」の中で、極めて興味深いのは、トロアスから アソスまでだけ「単独行動」をとることです(20:13)。 どうしてこの30qの距離、パウロは一緒に船に乗らないのか。 これも推測ですが、パウロは一人になりたかった、そう 理解することが正しいのではないでしょうか。孤独になって、 彼は聖霊の促しの声をもう一度聴く必要があったのではないで しょうか。この「そして今、わたしは、“霊”に促されて エルサレムに行きます。…ただ、投獄と苦難とがわたしを 待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でも はっきり告げてくださっています」(20:22〜23)とは、 この単独の祈りの旅の中で示されたことなのではないでしょうか。 私たちはいつも「我ら」であるのではありません。信仰者とは 神の前に「一人」で立たねばならない単独者でもあります。 自分だけに与えられる特別の使命がある。誰にも変われない 私しか負えない神の使命がある。それは「何故よりによって この自分に」と思われるような人生の試練かもしれません。 しかしその神から「一人称単数」の自分だけに与えられた使命 から逃れない時に、解き放たれる歩みが始まる。「私」が この世に生まれた意味が現れてくる。しかしそれは決して孤独に なることではありません。その独自の使命が神によって組み 合わされて「我ら」となって共なる旅が始まるのであります。 そうやって同労者を、つまり教会伝道共同体を神様は与えて 下さるのです。 「一人でいることが出来ない者は、交わりを用心しなさい。 交わりの中にいない者は、一人でいることを用心しなさい。 一人でいる日がなければ、他者と共なる日は、実りのないもの となる。」(ボンヘッファー著『共に生きる生活』より) 使徒言行録20:17、パウロは、今のトルコ、ミレトスに 着岸しました。約50qの所に、あの3年近く伝道したエフェソが あります。聖霊のお示しの内では、エフェソにもう二度と 訪れることはないということを知らされていました。そこで エフェソ教会の長老たちをミレトスに呼んで決別の辞を 述べました。 「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと 共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、 自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、 ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に 遭いながらも、主にお仕えしてきました」(20:18〜19)。 苦労を分かち合ってきたエフェソの長老たちです。パウロに よって信仰を得た者たちが、やがて長老になるまでに成長した。 その者たちと一緒に伝道した。伝道が進展し救いがアジア州一帯に 広まっていく様を見て、手を取り合って喜んだに違いない。 一方それに連れて迫害も激しくなる。ユダヤ人の激しい迫害、 アルテミス神殿の銀細工師たちの攻撃、一緒にそれらに立ち向かい、 まさに「我ら」となって戦い続けてきた日々であったと思います。 教会を建てる戦いはいつの時代でも本当に激しいのです。遊び 半分に出来ることではない。「この世を愛する」者には出来ません。 パウロは涙を流しながら戦ったと言います(20:19)。決別の 終わりにも「人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。 特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが 言ったので、非常に悲しんだ」(20:37〜38)とあります。 教会を建てる喜びと悲しみ、躍進と挫折、成功や失敗、出会いと 別れ、それを一緒に分かち合ってきた者たち。その中でこの一人の 伝道者と長老たちの燃え立つような「深い共感」の思いが生まれて いるのです。「我ら」という強い絆です。「教会とはこういう ものだ!」とルカは熱く訴えて止みません。 祈りましょう。 主よ、教会を建てる喜びと労苦に生き、 そこでのみ生まれる兄弟姉妹の深い絆をもって「我ら」と 心から呼び掛け合う者として下さい。 |